古来、蝶々は再生と復活、魂・霊魂の象徴といわれています。
蝶々は神秘的な生き物です。世界中の様々な神話・伝承の中で魂や復活の象徴として伝えられてきました。
蝶々は人々の心にどのような影響を与えてきたのでしょうか?それを知ると古代から蝶は再生や魂の象徴だったことがわかります。
そこで古代から伝わる神話や伝説の中から蝶にまつわるものを集めたので紹介します。
蝶々の象徴としての意味
蝶は再生と復活・変化の象徴
蝶は「卵」「幼虫」「蛹」「成虫」と変化します。生物学の世界では「完全変態」といいます。
しかも蝶は木の葉でイモ虫から蛹になり。そこから空飛ぶ生き物へと変身します。とくに死んだように動かない蛹から美しい羽を持つ成虫への変化は「復活」「再生」「変化」を意味すると考えられました。
このことから蝶を見かけた場合は「大きな変化がやって来る」「一度だめになったものが良くなる」と考えられるのです。
蝶は霊魂や魂の象徴
古来より魂は人の体から離れると空を飛んであの世へ帰っていくと考えられました。空を飛ぶ魂や鳥や昆虫など空を飛ぶ生き物に姿を変える、空を飛ぶ生き物が魂を運ぶと考えられました。
蝶も魂と関わりのある生き物です。
とくに白くてひらひらと飛ぶ姿から浮遊する霊魂を想像ことも多く、世界各地で蝶は魂の姿と考えられるようになりました。
ではなぜ蝶が霊魂や魂と関係があるのでしょうか?思いつきで言ってるわけではありません。それには根拠があります。古代より世界の様々な地域で蝶とスピリチュアルな世界のつながりが噂されていたのです。
世界各地の蝶々とスピリチュアルな繋がり
日本では魂の象徴
日本人は古来より蝶は魂が姿を変えたものだと考えていました。
古い日本語では蝶は「ひむし」と呼ばれました。「ひ」とは魂や生命力を意味します。漢字では「ひ」は「霊」と書くともあります。現代人は霊と聞くと幽霊とか恐いものをイメージしますが、本来の霊の意味は魂や生命力を意味する言葉でした。
古代の日本人は人の体から「ひ」が無くなることが人の死と考えました。人の体から抜け出た「ひ」は空へと飛んでいきます。そのときに蝶の姿になって人の目に見えるのです。「夜のひむし」と呼ばれるように「ひむし」は夜に飛んでいることもありました。昔の日本人は蝶と蛾を区別していませんでした。蝶と蛾はどちらも魂が姿を変えたものだと考えられたのです。
日本では蝶は祖先の魂、あるいは知人の魂、なにかその場所や人に縁のある人の魂の場合もあると考えられました。魂の運び手を殺したり捕らえたりすると魂の主が怒ってよくないことが起こるかもしれません。だから蝶をむやみに捕まえたり殺したりしてはいけないのです。
沖縄では蝶はトンボとともに霊魂の象徴だとされました。祭司やノロと呼ばれる霊能者が着る衣服にはハベルガタと呼ばれる蝶の文様が描かれました。
南洋の地域でも蝶は祖先の霊
メラネシアやインドネシアなどでは蝶は祖先の霊と考えるところもあります。考え方としては日本に近いですね。
南洋の島から南西諸島そして日本列島へと蝶を祖先の魂と考える古代の人達が移動したのかもしれませんね。
ギリシャ・ローマ神話から
ギリシャやヨーロッパ圏の古い言い伝えでは蝶は死者の魂と考えられていました。蝶がやってくると「祖先が見守ってくれている」と考えられたのです。
アモールとプシューケーの話
ギリシャ・ローマ神話ではアモールとプシューケーの話があります。紀元前2世紀のローマの詩人アープレーユスが書いた物語なので、一般に知られているギリシャ・ローマ神話よりも新しい物語です。それでも2000年以上前に書かれたお話ですし元になる昔話があったのかもしれません。なにより当時のローマ人の価値観をよく表現しているので紹介します。
アモールは愛の神。アモールの別名はクピト(英語ではキューピット)、愛の弓矢で人々を恋 に落とさせる愛の神です。ギリシャではエロースともいいます。美の女神ウェヌス(英語ではヴィーナス、ギリシャではアフロディーテ)の息子です。
プシューケーは人間の娘。女神ウェヌスが嫉妬するくらい美しい娘でした。プシューケーはギリシャでは魂と同時に蝶の意味もあります。プシューケーは英語では心を意味するサイコ(psycho) という言葉の由来にもなりました。
この話ではアモールが人間の娘プシューケーに恋をして様々な困難の後にプシューケーは神になってアモールと結ばれます。物語ではプシューケーが蝶になったという記述はありません。
でも神話を題材にした絵画や彫刻では神になったプシューケーは蝶の翼を持つ女神として描かれることがあります。古代ギリシャ語の「プシューケー」は「息を吐く」という言葉に由来します。しかし「プシューケー」には蝶と霊魂もあるのです。プシューケが蝶になったと言わなくても蝶や魂を意味する言葉ですから古代ギリシャ・ローマの人々はプシューケーが蝶と魂を擬人化したものだと分かるのです。それがよく分かる詩があるので紹介します。
ヨーロッパの詩に登場するプシューケー
アイルランドの詩人トマス・ムア(1779-1852)の書いた「夏祭り」という詩の中にもプシューケーが登場します。
今夜われわれの若い女主人公は
その輝くを黒いヴェールに包んではいなかった
なぜなら見よ、彼女の地上を歩くさまを、それはエロースの妻なのだ、
彼の娶った花嫁なのだ、この上なく聖(きよ)い誓いによって
オリュムポスで結ばれ、そしていま
その雪のような額にきらきらと垂れている飾りによって
人間たちにも知られているものなのだ。
霊魂を意味する(しかしそう考えるものはほとんどいないが)
その蝶こそ、その神秘の飾りこそ、
そしてまっ白な額にこのように輝く光こそ
今夜ここにプシューケーが来たことを教えるものなのだ。ブルフィンチ,”ギリシア・ローマ神話”、角川文庫より
トマス・ムアはカトリック教徒。詩人らしく「霊魂は存在しないし復活しない」というキリスト教の価値観に反抗しつつも、ギリシャ・ローマ神話を題材にした彼らしい作品です。
古代ギリシャ・ローマ人も魂は不滅と考え、蝶を魂の象徴として考えていました。その考えはヨーロッパ人にも受け継がれていたので す。
キリスト教
ギリシャ・ローマ人の考えはキリスト教にも影響を与えました。「蝶が復活、不死や魂の象徴」と考えられたのです。
蝶は聖書には載っていません。キリスト教では人間に命を吹き込んだり、再生や復活ができるのは唯一絶対の神(God)だけです。神(God)でない霊的存在が勝手に生命を造ったり復活させることは許されません。祖先の魂が現世に帰ってくることもありません。祖先を現世に生きた人として尊敬はしますが、祖先の魂を崇拝するは禁止されています。
でも宗教絵画などの芸術の分野では蝶はよく見られます。神がアダムに魂を吹き込む場面では魂のビジュアル化として蝶や鳥が用いられることがあります。
聖書になかった蝶がキリスト教で魂の象徴として描かれるのはギリシャ・ローマ神話の影響があるからです。
ギリシャ・ローマ文明はヨーロッパ人の文化として根付いています。キリスト教が普及してもその影響を完全になくすことはできませんでした。そこでキリスト教絵画でも神が生命の創造や復活を行ったときの表現として「蝶」が使われます。
また「蝶が死者の魂」というキリスト教以前の信仰も完全にはなくなりませんでした。
そこにはヨーロッパでも「蝶が魂」という考えが息づいているからです。
蝶=魂という考えは世界各地にある
いかがでしたか?
古くはエジプト文明の時代からギリシャ・ローマ神話。そして日本の信仰。年代や西洋・東洋関係なく蝶は魂や再生の象徴だったことわわかります。
時代や宗教の広がりによっては、その考えが否定されたり悪い意味に捕らえられることもありますが。人々の心の奥底には死からの再生・復活と魂の存在を長に託した想いがあるのは世界共通なのです。
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